信長・道元・芭蕉 偉人が残したドラマを歩こう
今庄町と敦賀市を隔てる木の芽峠。『日本紀略』によれば、その歴史は西暦830(天長7)年までさかのぼるとか。以来、古代北陸道の通る道となったこの難所。南北朝時代には、新田義貞の軍勢の多くが凍死したという悲話も伝えられています。当時の人々の往来を思い浮かべながら、約4kmの道のりをたどってみませんか。
木ノ芽峠歴史散策コース
JR敦賀駅
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古道入口
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道元碑
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木ノ芽城塞群
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言奈地蔵
↓
JR南今庄駅
峠付近観光の際のご注意
※峠付近の茅葺き建物は前川家所有の民家で、観光用の施設ではありません。個人の生活の場であることにご留意頂き、無断で私有地内や建物内に立ち入ることは固くご遠慮願います。
木ノ芽峠歴史散策コース
JR敦賀駅
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古道入口
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道元碑
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木ノ芽城塞群
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言奈地蔵
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JR南今庄駅
峠付近観光の際のご注意
※峠付近の茅葺き建物は前川家所有の民家で、観光用の施設ではありません。個人の生活の場であることにご留意頂き、無断で私有地内や建物内に立ち入ることは固くご遠慮願います。
「地蔵言わぬが己言うな」言奈地蔵
その昔、大金を持った旅人を乗せて木ノ芽峠を越えた馬子がありました。馬子がこの峠で旅人を殺して金を奪ったところ、地蔵の前であったことに気付き「地蔵言うな」と独り言を言いました。すると地蔵から「地蔵言わぬが己言うな」と言い返されました。その後、年を経て再びこの峠を越す時、馬子は歳若い旅人と道連れとなり四方山話をしながら歩いていると、あの地蔵の前にやって来ました。馬子はこの地蔵が霊験あらたかな地蔵であることを告げると、旅人はその云われを問いました。馬子は先年の悪事を語り、ありし次第を告げたそうです。しかし、実はこの旅人こそが先年殺された旅人の息子で、親の仇を訪ね歩いていた者だったのです。息子は天にも昇る心地をこらえ、山中で仇を討つよりはと、共に敦賀まで出てから名乗りをあげてこれを討ちとったとのことです。
- 住所
- 福井県敦賀市新保
- TEL
- 敦賀観光協会 0770-22-8167 敦賀観光案内所 0770-21-8686
- 交通アクセス
-
マイカー利用の場合:北陸自動車道・敦賀ICより 車で約30分(新保地区)
バス利用の場合:JR敦賀駅より コミュニティバス「東郷線」で約15~45分 「新保」停留所下車(新保地区)
※「東郷線」ご乗車には事前予約が必要です。予約方法はこちら
バス時刻・乗換案内はこちら
タクシー利用の場合:JR敦賀駅より タクシーで約25分