お江・お市・大谷吉継 ゆかりの地
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01
玄蕃尾城(内中尾山城)跡
賤ヶ岳の戦いにおいて、屈指の築城技術を誇る
敦賀市の東端、福井県と滋賀県の県境にある内中尾山(標高460m)山頂にあり、天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦の際、柴田勝家が本陣として築城される。城は最高所の主郭を中心に、専守防衛に主眼を置きつつ出撃拠点としても巧みに計算された縄張りを見ることができ、諸郭間の機能分化と配置、馬出の完成度、空堀。土塁の発展、天守台が具備され、現存する県内の山城の中で最も発達した構造を示すものと言われている。
02
西小学校前石碑
吉継の居城であった敦賀城。この小学校には敦賀城の案内碑があり、敦賀城が確かにここに存在したことを教えてくれます。
03
真願寺
敦賀城の乾門跡に建てられたお寺で、境内には敦賀城の礎石が残っています。真願寺門前には城跡碑もあります。
04
永賞寺
大谷吉継の供養塔が残る寺院
1547年東郷中区にて天台宗永昌寺創建。1591年敦賀城主の大谷吉継が、現在の場所に移し武田栄文禅師を招いて再興した折に、曹洞宗に改宗し寺号を永賞寺に改め、吉継自らの菩提寺としました。石田三成との友情のために関ヶ原の地で散った吉継は切腹。境内にはその9年後、1609年に造立された慰霊の九重塔(石造・敦賀市指定文化財)が残っています。 毎年9月には地元有志らによる供養祭も行われ県外からも多くの吉継ファンが足を運びます。
05
来迎寺
敦賀城裏門から移築された中門や客殿には腰高障子(県文化財指定)など当時を感じさせる歴史的遺産が残っています。
06
常宮神社
氣比神宮の奥宮
地元では「お産のじょうぐうさん」と呼ばれ親しまれている神社。神功皇后が、ここで皇子の応神天皇を安産したことから、安産の神様として崇められています。神功皇后は、氣比神宮の祭神・仲哀天皇の妻であるため、常宮神社は氣比神宮と夫婦とされ、常宮神社は奥宮といわれています。 毎年7月には、氣比神宮の祭神・仲哀天皇を納めた船神輿が船で海を渡り、神功皇后を祭る常宮神社まで会いに行くというロマンチックな神事が執り行われています。
立地条件や神功皇后が三韓征伐に際して海路の無事を祈願したとの伝えがあることから、航海や漁業の守護神としても信仰されています。
GOAL
玄蕃尾城(内中尾山城)跡
日本、福井県敦賀市刀根 玄蕃尾城跡
西小学校前石碑
日本、福井県敦賀市結城町8−6 敦賀市立敦賀西小学校
真願寺
日本、福井県敦賀市結城町14−1 真願寺
永賞寺
日本、福井県敦賀市栄新町11−20 永代供養 永賞寺
来迎寺
日本、福井県敦賀市松島町2丁目5−32 来迎寺
常宮神社
日本、福井県敦賀市常宮13−16 常宮神社