1400坪にも及ぶ書院庭園は国の名勝としても指定
14世紀に活躍した名僧・良如上人が建立した浄土宗きっての名刹(めいさつ)。福井城主・結城秀康公の寄進で書院が建てられた徳川家ゆかりの地でもあり、1400坪にも及ぶ書院庭園は国の名勝としての指定もされています。この書院庭園は、極楽浄土を地上に表現したともいわれ、とくに朝日に映える新緑・紅葉はまるで別世界のようです。応仁の乱を避けて都から移設された文化財も多く、重要文化財も多数存在しているのが特徴。四季折々でさまざまな表情を見せてくれる庭園は11月中旬頃がいちばんの見ごろ。紅葉に覆われ美しさも際立ちます。
見どころ
御影堂・渡廊下
御影堂は、文化8年(1811)の建立で、入母屋造桟瓦葺、桁行7間、梁間6間、向拝3間の堂々とした七間堂で、地元では大殿(だいでん)とも呼ばれています。寺院によれば円光大師自作と伝える肖像と、その両脇に開山と中興上人の像を祀る。渡廊下は、阿弥陀堂の北側から3箇所の折れで雁行しながら池の上を渡り、御影堂の西側に接続している。これは浄土宗の儀軌にある四修行法にちなみ、四修廊下と呼ばれています。
阿弥陀堂
阿弥陀堂は、文禄2年に越前一乗谷から移築したと伝えられ、もとは単層3間の小規模な仏堂であったが、西福寺に移築した祭、裳階付き重層の仏堂に改築したらしい。桁行5間、梁間5間、向拝1間、入母屋造桟瓦葺であるが、もとは杮葺であったものを、延享4年(1747)に改修したものである。また、もとは正面の御影堂の位置に建てられたが、文化年間、御影堂新築に伴い、現在の位置に曳屋されました。
スダジイ2株
開山・良如上人が、飢饉に備え手ずから植えたと伝えられる。御影堂への石段の両脇、向かって右に雄株、左に雌株がある。ともに老齢巨木で樹勢は良好であり、雌株は、例年よく結実する。
鬱金桜
この鬱金桜は松平忠直が寄贈し、福井城内から移植したと伝えられ、現在の株は3代目であるという。薄黄緑色をした八重咲きの花を咲かせます。
おお原の里
西福寺の門前にある農産直売所と憩いのスペース
おお原の里ホームページ
御影堂は、文化8年(1811)の建立で、入母屋造桟瓦葺、桁行7間、梁間6間、向拝3間の堂々とした七間堂で、地元では大殿(だいでん)とも呼ばれています。寺院によれば円光大師自作と伝える肖像と、その両脇に開山と中興上人の像を祀る。渡廊下は、阿弥陀堂の北側から3箇所の折れで雁行しながら池の上を渡り、御影堂の西側に接続している。これは浄土宗の儀軌にある四修行法にちなみ、四修廊下と呼ばれています。
阿弥陀堂
阿弥陀堂は、文禄2年に越前一乗谷から移築したと伝えられ、もとは単層3間の小規模な仏堂であったが、西福寺に移築した祭、裳階付き重層の仏堂に改築したらしい。桁行5間、梁間5間、向拝1間、入母屋造桟瓦葺であるが、もとは杮葺であったものを、延享4年(1747)に改修したものである。また、もとは正面の御影堂の位置に建てられたが、文化年間、御影堂新築に伴い、現在の位置に曳屋されました。
スダジイ2株
開山・良如上人が、飢饉に備え手ずから植えたと伝えられる。御影堂への石段の両脇、向かって右に雄株、左に雌株がある。ともに老齢巨木で樹勢は良好であり、雌株は、例年よく結実する。
鬱金桜
この鬱金桜は松平忠直が寄贈し、福井城内から移植したと伝えられ、現在の株は3代目であるという。薄黄緑色をした八重咲きの花を咲かせます。
おお原の里
西福寺の門前にある農産直売所と憩いのスペース
おお原の里ホームページ
- 住所
- 福井県敦賀市原13-7
- TEL
- 0770-22-3926
- 駐車場
- あり
- 交通アクセス
-
マイカー利用の場合:北陸自動車道・敦賀ICより 車で約15分
バス利用の場合:JR敦賀駅より コミュニティバス「松原線」で約21~27分「西福寺」停留所下車
バス時刻・乗換案内はこちら
タクシー利用の場合:JR敦賀駅より タクシーで約17分 - 営業時間
- 9:00~17:00(16:30最終受付)
- ウェブサイト
- http://www.saifukuji.jp